種車は1974年に仙石線用の72系4両5編成20両を郡山工場(現在の郡山総合車両センター)で同時期に製造された103系と同等の車体に更新したアコモ改良車のモハ72形970番台・クハ79形600番台で1985年から1986年にかけて大井工場・大船工場・大宮工場・新津車両所(現在の東京総合車両センター・東日本旅客鉄道大船工場・大宮総合車両センター・総合車両製作所新津工場)で本形式に編入改造された番台区分である。

モハ72形970番台・クハ79形600番台は1980年までに本形式投入によって仙石線の未更新の旧型車両が置き換えられた後も運用が残っていたが、1985年に本形式に統一されたことで運用から離脱した。しかし経年が浅かったことと当時国鉄の財政が逼迫していたことから転用先が検討された。

同時期に埼京線の開業と川越線の電化があり、大宮-川越-高麗川間での区間運転用車両が必要となった。そのため旧性能車両の機器更新という国鉄としては非常に希な改造工事を施工して投入した。車端部の製造銘板には昭和27年や昭和29年等の改造種車の製造年が記載されていた。

分割民営化後は全車両がJR東日本に継承され、その後AU712形冷房装置とインバーター(SIV)を搭載して冷房化され、同時に先頭車のみ側面方向幕が設置された。

1996年からは八高線八王子-高麗川間の電化に伴い同線にも運用を拡大するとともに新たに投入された3500番台改造車、209系3000番台と編成を合わせることから豊田に配置されていたサハ103形3000番台を組み込んで4両編成となった。これにより3000番台は全車両が川越電車区に配置された。

その後老朽化に伴い205系3000番台、209系3100番台に置き換えられて廃車が進行し、2005年10月2日の「川越線電化20周年記念号」をもって運用から離脱し、その後もハエ53編成が予備車として残存していたが、11月中旬までに全車両が廃車になり区分消滅した。

八高線電化関連

1996年3月の八高線八王子-高麗川間の電化開業の際川越線用の3000番台が同線にも進出したが、運用区間の延長のため既存の車両では足りなくなったことから209系3000番台が4編成製造された他、本形式の0番台4両1編成が寒冷地用に半自動扉改造等を施工されて川越電車区に投入された。

本編成は新たに3500番台に区分された。半自動扉は手動開閉の3000番台に対し、押しボタン開閉となった。

3000番台と共通運用されたが、2005年4月に廃車された。JR西日本に播但線用の3500番台が存在するが、関連はなく重複番号もない。

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